ディヴィッド・リンチ タイムライン
1946年
1月20日、モンタナ州ミズーラで、父ドナルド、母サニーの長男 David Keith Lynchとして誕生(後に弟がふたり、妹がひとり生まれる)。
1964年
ボストン・ミュージアム・スクール入学。ジャック・フィスクとともにヨーロッパ留学に旅立つが、15日で帰国。
1965年
フィスクに薦められ、フィラデルフィアのペンシルバニア・アカデミー・オブ・ファイン・アーツに入学。
1967年
ペギー・リーヴィーと結婚。短編アニメ「Six Men Getting Sick」を製作。
1968年
長女ジェニファー誕生。短編「The Alphabet」を製作。
1970年
アメリカン・フィルム・インスティテュートの資金援助で「The Grandmother」を製作。ロサンゼルスに引っ越す。
1972年
初の長編「イレイザーヘッド」製作開始。撮影は夜だけ行われた。ペギーとはこの年に離婚(74年説あり)。
1977年
5年の歳月を費やし「イレイザーヘッド」が完成。ニューヨークで封切られる。ジャック・フィスクの妹メアリーと結婚。
1978年
「イレイザーヘッド」、アボリアッツ映画祭に出品され「黄金のアンテナ賞」を受賞。メル・ブルックスに認められ、「エレファント・マン」の監督に抜擢される。
1980年
「エレファント・マン」全米公開。アカデミー賞8部門にノミネートを受ける。世界中で大ヒット。この頃、「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」のオファーを受ける。
1982年
長男オースティン誕生。
1984年
「デューン/砂の惑星」公開。興行的には大失敗。
1986年
「ブルーベルベット」公開。リンチはアカデミー賞監督賞にノミネートされる。
1987年
メアリーと離婚。
1988年
イザベラ・ロッセリーニ主演作「ゼリーと私」にゲスト出演。「カウボーイとフランス男」をフィガロ誌のために製作。
1989年
ニューヨークのブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックで、アンジェロ・バダラメンティとともにINDUSTRIAL SYMPHONY NO.1を上演。これに出演したジュリー・クルーズのアルバム「Floating into the Night」も共同プロデュース。
1990年
4月、「ツイン・ピークス」ABCでオンエア開始。世界中で大ブレイク。5月にはカンヌ映画祭で「ワイルド・アット・ハート」がパルムドールを受賞。リンチ絶好調。
1991年
6月、「ツイン・ピークス」最終話放映。ABCで「オン・ジ・エアー」が放映。3回で打ち切られる。日本のためにジョージア・コーヒーのCFを撮影。
1992年
「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」が公開。ブームは冷え切っていて、日本以外ではヒットせず。HBO向けの短編ドラマ「ホテル・ルーム」を製作。
1993年
ジュリー・クルーズのアルバム「The Voice of Love」をアンジェロ・バダラメンティとともにプロデュース。
1995年
映画生誕100年企画「キング・オブ・フィルム」に60秒のショート・フィルムを製作。また、この年Yoshikiのプロモ・クリップを撮影するが、お蔵入り。
1997年
5年ぶりとなる長編映画「ロスト・ハイウェイ」が公開。
1998年
ジョスリン・モンゴメリーのCD「Lux Vivens」をプロデュース。
1999年
TVシリーズのパイロット版として撮った「マルホランド・ドライブ」がABCに却下される。「ストレイト・ストーリー」カンヌ映画祭正式出品後、全米で公開。
2001年
劇場映画として甦った「マルホランド・ドライブ」により、カンヌ映画祭で監督賞を受賞。後にユニバーサルの配給により全米公開。数々の賞を受賞する。自らの公式サイトDavidLynch.comもオープン。
2006年
「インランド・エンパイア」公開。映画に出演していたエミリー・ストーフルと、09年に結婚し、一子をもうけている。
参考文献:デイヴィッド・リンチ
(フィルムアート社)、フィルムメーカーズ / デイヴィッド・リンチ (キネマ旬報社)